以前、学研の学習雑誌がどうなっているのかというエントリーを書きました。

学研の学習雑誌「科学」と「学習」はそれからどうなったのか : Timesteps

上のエントリーでも触れましたが、学習雑誌といえば学研の雑誌とともにもうひとつ大きな存在を思い浮かべる方も多いでしょう。それは、小学館の学習雑誌。つまり『小学一年生』とか『小学二年生』といった雑誌ですね。子供の頃お世話になった方も多いでしょう。

というわけで、その小学館の学習雑誌がどうなっているかについて、今日は書いてゆこうと思います。


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大正時代に創刊


小学館の学習雑誌の歴史は戦前にまで遡ります。創刊したのは1922年の9月7日、まだ元号が大正の時代です。ちなみに鈴木三重吉が発行し、日本史の教科書にも載っている児童雑誌『赤い鳥』の創刊が1918年ですから、そのわずか4年後となります。

当初はまだ全学年分の雑誌が発行されていたわけではなく、『小学五年生』、『小学六年生』の二学年分だったということです。発行本である小学館が設立されたのも同年の8月。つまりは社名が示すように、小学館の歴史も、この学習雑誌と共にスタートしたということですね。

当初は赤字が続きますが、そのうち黒字化。翌年1923年関東大震災が発生しますが、それを乗り越えつつ、『小学四年生』が創刊。そして翌1924年には『せうがく三年生』が創刊、1925年には『セウガク一年生』『セウガク二年生』が創刊され、ここで小学校の全学年分の雑誌が揃います。

そして1931年にはそれらとは別に『幼稚園』も創刊されます。


戦中の名称変更と戦後の復刊


やがて時代は満州事変を経て太平洋戦争にと突入し、この学習雑誌もその影響を受けます。1941年、国民学校令により小学校が国民学校と名前を変えますが、それに伴い雑誌が『国民一年生』 ~ 『国民六年生』と名称を変更、そして翌年1942年の戦時統制により、それらの雑誌を低学年向けの雑誌『良い子の友』と高学年向けの『少國民の友』に統合させられました。

しかし1945年の敗戦後、1946年よりもとの『小学一年生』~『小学六年生』が順次復刊します(『良い子の友』、『少國民の友』も並行してしばらくの間発行)。


学研などからライバル学習雑誌の誕生


戦後、小学館の学習雑誌の他にも、いろいろな子供向け学習雑誌が誕生してきます。まず、この前書いた学研の雑誌。

学研の学習雑誌「科学」と「学習」はそれからどうなったのか : Timesteps

そして、最大手の講談社からは『たのしい一年生』~『たのしい六年生』が、1956年から出版されています。ただしこちらは比較的短く、1963年には休刊してしまいました。

また、学習雑誌よりも娯楽要素が多い子供向け雑誌としては、1949年に集英社から『おもしろブック』というものが創刊されます。ちなみに集英社はもともと小学館の娯楽部門として設立された会社でしたので(今も一橋グループとして同系列の会社とされ、神保町の社屋は隣同士)、当時はそちらの方面の書籍、雑誌が中心に出されていました。この『おもしろブック』は『少年ブック』と名を変え、後の『少年ジャンプ』への系統にと繋がります。

また1959年には講談社から『少年マガジン』、小学館からは『少年サンデー』が創刊され、今にと繋がります。


ちょっと遡って1950年には『女学生の友』、1956年の『よいこ』、『中学教育』、そして1958年の『めばえ』など、小学生以外にも対象を広げた雑誌が創刊されますが、当時は高度成長期。子供の人口が非常に多かった時期であり、そういった学習雑誌の需要も高かったために売上げを伸ばしてゆきます。


付録の魅力


私もこの小学館の学習雑誌を1980年代に読んでいたのですが、その時の記憶など憶えている内容などを。

まず、学習雑誌らしく特集が組まれており、子供の時の知識欲を充実させていました。それらには、雑誌、とりわけ低学年向けではよく雑誌を編集している人達写真で出演していて、ポーズをとって写っていたのですが(そしてそこにフキダシで台詞が書いてあったり)、その時の編集者の呼び名が「●●記者」であったのを憶えています。今だとマスメディアでもあまりこんな肩書き使ってるところ見ないなあと(せいぜい△△部:●●)。

それについて、先日西原理恵子さんのマンガを読んでいたらおもしろいものを見つけました。本に載せる写真の撮影で、元小学館低学年編集部にいた小学館の社員の人を写真のゲスト出演で呼んだときの話。
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 西原理恵子『できるかなV3』(角川文庫)・P98より
学習誌低学年の編集部員は全国のよい子のためにお兄さんお姉さんとして(写真で)誌面に登場するのが仕事なので、こんな写真向きの大胆ポースがとれるという話。見た時なんだか微笑ましくなりました。プロですな。

しかし象徴的なのは、やはり付録。小冊子などもありましたが、やはり目立ったのは、紙製の組み立て式のもの。学研のほうは低予算ながらプラスチックなどを駆使して独特のものがついていましたが、小学館の学習雑誌は普通の書店流通であるためあまり大きなものはできず、組み立て前のものが本に挟める紙製のものが主流となっていたようです。しかしそこはいろいろな工夫がなされ、いろいろなものが作られていました。

また、当時(というか自分よりちょっと前の1970年代)はレコードが普及していた時代であったので、「ソノシート」というセルの薄いレコードがのようなものがついていたりもしました。
で、たった今、もしや……と思って家の奥にあるレコード入れを探してみたら……

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ありました!当時の小学館学習雑誌についていたソノシート。「九九あん記レコード」とか、学習誌っぽいですな。あと「ドリフターズのおもしろことばあそび」とか当時の流行が見えたりします。

■関連:ソノシートはそれからどうなったのか : Timesteps


『ドラえもん』などマンガ発表の場


小学館の学習雑誌には、教育雑誌として貢献してきたのと同時に、非常に大きな功績を果たした場所があります。それはマンガの発表の場。

小学館の学習雑誌には、決まってマンガが掲載されていました。それは学習誌オリジナルのマンガだけではありません。とりわけ1970年~80年代には週刊少年誌が隆盛を迎えますので、小学館の少年サンデーや児童向けのコロコロコミック(1978年創刊)で連載されていたコミックがこちらに掲載されることもありました。また、当時はテレビの人気がとてもあったため、普通のマンガだけではなく、当時放映されていたアニメのフィルムを使ったフィルムコミックなども掲載されていたようです。

こういった場所で執筆していたマンガ家は、今では(既に亡くなっている方も含め)大御所と呼ばれる人達も大勢います。ざっと挙げただけでも手塚治虫、石ノ森章太郎、永井豪、川崎のぼる、園山俊二等々。

その中でも特に有名であり、作品の本数も多かったのは、藤子不二雄先生でしょう(1987年以降は藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄に)。有名作品であるオバケのQ太郎、パーマン、怪物くん、忍者ハットリ君などもこれらの学年誌に(多くはコロコロコミックか少年サンデーと並行してですが)掲載されました。

中でも一番有名となった作品は、1970年の号からスタートした『ドラえもん』でしょう。この人気や今に至る影響はもう言うまでもありませんね。私が子供の頃にも人気はすさまじく、テレビアニメで『ドラえもん』が好きになった子供が学習誌を読むということも数多くあったようです。

ドラえもん 1 (藤子・F・不二雄大全集)

他にも、藤子不二雄両先生のマンガをはじめとして、数々の人気作を打ち出し、同時にマンガ家の育成の場にもなり、マンガ専門誌と同時にマンガ文化に大きな功績を残しました(ちなみに自分は何故か「めいたんていカゲマン」が強く印象に残っています)。


『ピッカピカの一年生』


私と同世代の人達には、この小学館の学習雑誌、とりわけ『小学一年生』を代表するフレーズがあります。それが「ピッカピカの一年生」



ちなみに当時、テレビ朝日で夕方、『パオパオチャンネル』という子供向けの帯番組がありました。所ジョージとかまだ新人のウッチャンナンチャンなどが出ていたのですが(個人的にDr.大竹ラボが印象に残ってます)、そこが小学館の提供枠で藤子不二雄原作のアニメが放映されていたほか、上のような小学館の学習雑誌CMがよく流されていたので、それを記憶している人も多いと思われます。


『小学五年生』『小学六年生』休刊


しかし、平成に入るとこれらの学習雑誌はだんだんと部数を落としてゆきます。その大きな理由は少子化。これは学研の科学・学習と同じで、学年別で分かれているため上限がその年代の人数固定となってしまうために絶対数が減ったら減少せざるをえないのですね。

また、1980年代からはライバルである福武書店(現ベネッセ)の『進研ゼミ』『こどもちゃれんじ』がさらに台頭してきて、親が選んで与えるものは、学習に特化したこちらになってしまったのですね。さらに、子供が読みたい娯楽に特化したものとしても同社の『コロコロコミック』が人気でしたから、中間地点の学習誌が浮いてしまったという面もあるかもしれません。

2000年代に入るとネットの普及による出版不況なども始まり、部数の減少はそれは更に加速してしまいます。

そしてとうとう2009年、『小学五年生』、『小学六年生』を今年度いっぱいで休刊とすることを発表。ここに戦前からの歴史を持ち、小学館の学習誌としても一番に発行された雑誌がなくなることとなります。

ちなみにこれらの後継として『GAKUMANplus』が2010年より創刊、隔月で発行されましたが、現在は廃刊となっています。

小学館の学習雑誌「小学五年生」「小学六年生」が休刊、87年の歴史に幕を閉じる - GIGAZINE


そして今


その後2012年、『小学三年生』と『小学四年生』も2012年2月3日発売の3月号をもって休刊となりました。
現在、『小学一年生』、『小学二年生』、それと『学習幼稚園』、『めばえ』などは刊行されています。ただ、やはり部数面では少子化の影響はかなり受けているようです。

下落止まらず・「小学1年生」~「小学6年生」の部数変化をグラフ化してみる(2010年10~12月分反映版):Garbagenews.com

しかし今でも本屋にはたいていその学年誌がきちんと置かれています。
現在も付録はあり、これもかなり進歩している模様。



小学館の「小学一年生」の付録「どこでも ゆびピアノ ドレミくん」で遊んでみました - GIGAZINE

マンガは今も『ドラえもん』は藤子プロの手で連載がされています。1978年から連載されている『あさりちゃん』は、つい最近、100巻分をもって終わりを迎えました。

※2016/10/4追記
2016年12月発売の2・3月合併号をもって『小学二年生』が休刊する旨が発表されました。

「小学二年生」が休刊へ 看板雑誌「小学一年生」だけに:朝日新聞デジタル

また、『あさりちゃん』は新シリーズとしてスタートしています。
4091421970
あさりちゃん 5年2組 (てんとう虫コミックス):室山 まゆみ


学習雑誌の必要性


学研なども同じですが、正直、子供向けの雑誌はこの少子化時代にはかなり苦しいものがあるでしょう。またインターネットなどの普及により、雑誌の需要が減っていることもあります。ただ、やはり教育の面ではまだインターネット利用するにはいろいろ知識(ネットリテラシーなど)が足りない子供にはこういう雑誌での学習も必要だとは思うのですよね。とりわけ付録などに実際に触れることも大切だと思うので、ネットとは別にこういった学習雑誌は在り続けて欲しいと思います。

しかし何十年かぶりにこういうの見ると、今雑誌の組み立てとかしたくなりますね。学研の『大人の科学』みたいに今大人が買っても抵抗ない付録にあったようなものとかちょっと欲しくなったり。


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その他参考

沿革・歴史 | 会社案内 | 小学館
少国民 - Wikipedia
良い子の友と少國民の友 - Wikipedia
小学館の学年別学習雑誌 - Wikipedia